『やがて森になる』(九ポ堂・古紙版)について<br>~30年を生き抜いた紙~

本のご紹介

『やがて森になる』(九ポ堂・古紙版)について
~30年を生き抜いた紙~

実は三種類ある『やがて森になる』
続きましては「九ポ堂・古紙版」について 
ご紹介させていただきます。

九ポ堂、酒井草平さんのおじい様、勝郎さん。

ご自身で活字を組まれ、ご自身で印刷された
「趣味で」と呼ぶには途方もない労力のかかった本ともうひとつ
彼が、九ポ堂に残されたもの。

それは、紙でした。

購入後、30年は経とうかというその紙は
端から黄ばみがはじまっていて
見た目以上に、そのにおいに経過した年月を感じさせる
まさに「古紙」でした。

世に古紙「風」の紙はたくさんありますが
実際に、何十年もの時を超えて現存する紙には
なかなか巡り会えないものですね。

「この紙を使って、本をつくらせてもらえませんか?」

その存在に触れたとき
そうお願いせずにはいられませんでした。


『やがて森になる』、本づくりのテーマのひとつは
「私」が「私」であるということを確認すること。
その来し方と向き合うこと。

──「あなたのなかに『あなた』はいますか?」

本の「はじめに」、冒頭の文章です。

それは著者の小谷さん
発行・編集の自分(影山)だけでなく
関わり合うすべての人々が
本づくりの過程で少なからず自分に問うた
ひとつの問いであったと思います。

それぞれが、それぞれの存在のありかを探る。

この本が、そういう使命を持った本であるとするならば
印刷をしてくださる酒井草平さんの
ルーツの大きな部分をなす、
勝郎さんが残してくださったこの紙を本にいかすことが
本の生命(いのち)を、またふくらますことにきっとつながると
そう思ったのです。

枚数の限られた
とっても貴重な紙ですが
草平さん、承知してくださいました。


ただ、本づくりを進める過程で
ひとつの大きな問題が発覚します。

紙が「ヨコ目」だったのです。

自分も、本づくりに関わるようになって
初めて知ったのですが
どんな紙にも、「目」があるんですね。
(ご参考:紙の流れ目 -竹尾)

紙の繊維の流れる向きということですが
この向きを間違えると

ページがうまくめくれなかったり、波打ってしまったり ちゃんとした本にならないわけです。

当初、枚数を数えた中で
100冊分くらいはいけるか…と
話をしていたのですが
それは、紙1面に4ページ分印刷できる前提での話。

紙の目が逆であるということになると
1面に2ページ分しか印刷できないことになりますから
つくれる本の数は半分に…。

ただ、紙の中央に印刷するため
周囲に大きな端切れができます。

断裁の過程で、これを取っておいてもらうことにしました。

いつか活かす機会があると信じつつ…。

名称未設定-21.jpg


そうしてできあがった
50冊の九ポ堂・古紙版。

九ポ堂・通常版と同じように  
活版校正機での印刷ですので
しかも1面に2ページ印刷ですから  
これはこれで、ざっと6,000回のペダル踏みを経て…。

いわば「マグロの中落ち」のように
紙の劣化していない部分だけを使って印刷していますが
それでも全体的に黄色がかった紙の雰囲気。

同じ時代を生きてきた
紙と活版校正機の組み合わせだからこそ、なのか
という印刷文字のなじみ具合。

水分の抜けた軽さ。
時代の空気を吸い込んできたにおい。

本とは、五感で味わえるものなんだということを
分かりやすく教えてくれる
独特の存在感の本になったと思います。

長い年月を経たものに触れたとき
不思議な安心感を覚えるのはどうしてでしょうね。

井上ひさしさんが書かれた
『ボローニャ紀行』に
こんな一節が、引用されていました。

「古いものの前に立つと、歴史が、過去が、そして消え失せたはずの時間が、  
すべてのものが、一瞬のうちに目の前へ立ち現われてきます。  
そのことによって、だれもが、自分が現代に孤立して生きている  
わけではないという真理を直観するんですね。  
そして自分が過去と未来をつなぐ役目を背負っているという責任を自覚します。  
大事なことは、こういったことがすべて人間を勇気づけるということです。」

ぼくらはぼくらにおいてのみ
ここに存在するわけではない、ということでしょうか。

そしてぼくらは
未来のいったい誰の、勇気になりうるのでしょうか。

(発行人)